私に大きな影響を与えたあの言葉は大伯父の遺言

私にはとても大切にしていた人がいた。
彼が亡くなってもうすぐ10年になる。
彼は私の母の叔父にあたる人だったが、小児麻痺を患っていたせいで一生自分の足で立つことが出来なかった。
私が知る限りでは身寄りもなく、施設を転々とし、車椅子での生活だった。
最初に彼に会ったのは私が小学1年の時。
ちょうど雨が降る日だった。
彼が暮らす施設に両親が連れて行ったのだ。
生まれて初めての対面。
私はその施設の住人たちが同じ人間には思えず、正直、妖怪のような非常に恐ろしいものを見たような気がして大泣きしてその場から逃げ出してしまった。
そして私は入口で足を滑らせ、なぜか後頭部をしたたかセメントの床にぶつけてしまった。
痛さと驚きそして怖さから大声を上げて泣いている私を見て彼はこう言った。
「大丈夫かい。初めて会いに来てくれたのに痛い目にあわせてしまってごめんね。おじちゃんがこんな姿だから怖かったんだよね。ここにいる人はみんな優しいんだけど、人間には見えなかったんだよね。でも、もしこれからもおじちゃんに会いに来てくれるなら、怖がっても構わないからいつでも待ってるよ。」私は今までで一番悪いことをしたと思った。
私が怯え、泣き喚き、逃げ出してしまった人なのにどうしてこんなに優しい事を言えるんだろうと心から驚いた。
帰る道すがら両親から母の父(私の祖父)が話した大伯父の生い立ちを聞いた。
彼は赤ちゃんの頃に高熱が続き、症状が収まった時には全身麻痺していたそうだ。
物心ついてからの記憶は家の片隅の部屋に閉じこられており、家族以外の人に会ったことはなかった。
その時代、障がいを持った人は忌み嫌われ、近所からは心無い誹謗中傷を浴びせられていたそうだ。
それでも家族は彼に精一杯の愛情を注いでいた。
ある日、彼は車に乗せられた。
初めての経験でワクワクしていた彼はそのまま施設に預けられてしまった。
その日から幼い彼は愛する家族と離れて暮らすことになった。
毎日会うことが出来た母親や兄弟に会うこともできなくなってしまった。
彼は棄てられたと思ったそうだ。
自分の体を恨んで死んでしまいたいと思ったが、体の自由がきかない彼はそれすら出来ずに必死でその環境に慣れたふりをして生きていくしかないことを悟った。
私は成人し、自らの意思で彼に会いに行くことができるようになった。
片道4時間、気がつくと毎月のように大叔父の元に通っていた。
大叔父といる時には見たことのない祖父と一緒にいるような気がしてたくさんの事を話した彼はいつでも笑顔で私を受け止めてくれた。
そのうち私も結婚し、子どもを授かった。
その子は見た目にはわからない障がいを持っていた。
私は毎日泣き暮らした。
大叔父に電話でこの事実を伝えた時、彼は「ああ、私のように動けない子じゃなくて良かった。
お前にならその子を育てていける。
その子に何かあったらどうしようとそればかり考えてた。
良かった、生きていける力がある子どもを授かれて良かった。」と泣いていた。
そして私の子どもの成長を楽しみにしているし、俺にはひ孫が出来たんだと喜んだ。
様々なことで思い悩んでいた私はそれから子どもの障がいと向き合っていく覚悟が出来たように思う。
それからしばらくして彼は急逝した。
生きていく力のある子を育てていけるんだという彼の言葉が彼の遺言になってしまった。
あの言葉がなければ私はもっと早くに子育てを諦めていたかもしれない。

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